埼玉大学バレーボール部の沿革 (2019/4/2記載 2019/11/17更新)


<1949年(S24)5月>

「国立学校設置法」が施行され、官立浦和高等学校を母体とする文理学部、埼玉師範学校・埼玉青年師範学校を母体とする教育学部の2学部をもつ大学として埼玉大学が設置されました(1949/5/31)。

<1949年(S24)6月>

昭和24年度(第一回)埼玉大学入学試験が実施されました。

<1953年(S28)3月>

第1回卒業式が挙行されました。

 

【男子排球部の誕生】 

1949(昭和24)の埼玉大学設立の年から2年間はバレー好きな面々が集まり、同好会として活動が行われていました。

1951年(昭和26)に、学連から埼玉大学に対してバレー部の登録要請があり、部活の形式を整える必要がでてきました。この時、文理学部3年の斉藤卓見さん教育学部3年の竹野谷真雄さんのお二人は協力して、排球部発足に尽力され、1951年(昭和26)に「埼玉大学男子排球部」が正式に誕生しました。

【女子排球部の誕生】

女子バレー部が無いという事で、教育学部の仲間である、中西容子さん(1953(S28)卒)、吉田幸子さん(1954(S29)卒)を中心に、中山美代子さん(1953(S28)卒)、山口孝子さん(1953(S28)卒)、金井君子さん(1954(S29)卒)らが排球部発足に尽力され、1952年(昭和27)に「埼玉大学女子排球部」が正式に誕生しました。

 

時代に合わせてその後「埼玉大学バレーボール部」と名称を変えましたが、「埼玉大学バレーボール部」は途中途絶える事なく先輩から後輩に引き継がれて現在に至っています。

爾来、400名を超えるOB・OGを輩出し、公官庁・教育界、ビジネス業界等にて大いに活躍、貢献をされています。

「埼玉大学排球部」創成期である1950年代前半の様子は、こちら写真をご覧になれます(閲覧にはPWが必要です)。

「埼玉大学バレー部の歩み」はこちらからご覧になれます(閲覧にはPWが必要です)。


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★下大久保移転前の埼玉大学の様子★

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